1年

2012年3月11日 日常
もう1年経ったのか、と思うくらいの強烈な記憶。

あの日、あの時、どこでだれと何を話していたのかということまで
映像を見るかのように鮮明に覚えている。

電話がつながらず、何度も何度も電話をかけたこと。

届いているかどうかもわからないけど
メールを何通も出したこと。

夫と会社のメールで奇跡的に連絡がつけて、
合流して自宅へ帰ったこと。

街が今までみたことのない、恐ろしい切迫感のある雰囲気だったこと。

たまたま、会社のテレビにチューナーがついていたので
リアルタイムであの悪夢のような映像を見て
心から、恐ろしくなったこと。

次々と人や車が波に飲み込まれていくのを
何もできず、ただ画面に向かって逃げて・・・ということしかできず、
鉛をのみこむような思いでみていました。

みんな、誰かの大事な人で、ついさっきまで、
それぞれの人生を生きていたはずなのに・・・。

はじめは大きく横に揺れ、そのあとも大きく縦にゆれ
いろんなものがだめになるだろうな、
助かるのだろうか・・・とも思うくらいの揺れでした。

今ままで、夜大きな地震があっても
全く起きなかった私が、今はすぐ起きるようになり
胸のどきどきがしばらく消えないこともあるし・・。

FBで助けを求めてきた仙台の友人に
必死で食べ物を送ろうと思って
泣きそうな思いで、うちにあった常備食を段ボールに入れ、ほしいといわれた食糧を確保しようと思って何軒も何軒もお店を回って、買い出しをして
あとは、運送会社が再開するのも毎日、HPをチェックして
営業所どまりだったけど、
西濃運輸が一番初めに営業を開始したので、
西濃運輸を取り扱いのお店を探して
荷物を送って、とにかく早く友達の元に届くように祈ってました。

今も震災の番組をよく見ているのですが
あまりにつらくて前が見えなくなることもとても多くって。

やっぱり、この日を忘れることはないだろうな、と思う。

いつ、家族と離れることになるかは誰にもわからない。

毎日毎日、夫が隣にいることが当たり前だけど
まさか、離れる日が来ると思うだけで涙がでる。

家族の人たちのつらさを思うと、本当につらくてつらくて
それでも生きていかなくてはいかない毎日を思うと
人生の厳しさを思わずにはいられない。

毎日の生活に、感謝。

頑張っている人たちの姿をみるだけで
勇気づけられる。

試験勉強があって、ボランティアにいけていないことが
申し訳なくてしょうがないけれど
必ず、いつになってもいこうと思う。

誰かの行動か、誰に希望を与えることがあるかもしれない。

それに、首都圏がいつ同じ大惨事が起こってもおかしくない状態にあるから
想定してやれるだけのことをすべてやっておきたいと強く思う。

自分を守るため、家族を守るため、この悲しい記憶を忘れず、
今後の防災対策に活かさなくては。


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